バスケと生きていく。タカハシユウスケのプロフィール

はじめまして!

当ブログの管理人・タカハシユウスケの詳細プロフィールです。

バスケのコーチが仕事で、それ以外の時間は大体ブログを書いています。

ぼくは、好きなバスケを仕事にできる会社に2度就職していますが、2度退職しています。

2度目の退職で、「ああ。会社に務めるの無理だな。」と確信したので、バスケをツールに自分で稼ぐことを決めました。

「バスケットボール×フリーランス」名付けて、バスケフリーランスです。

今はコーチ業で得られる収入を頼りに、ブログでバスケのデータ分析に打ち込んでいます。

以下、簡単な略歴です。

  • 1992年3月3日生まれ
  • 静岡県出身
  • 小学4年生からバスケを始める
  • 高校:静岡県でベスト8の高校に入りバスケに本気になる
  • 大学:大学は人間関係が上手くいかず半年で退部
  • 就職:(1度目)バスケを仕事にしたい気持ちが強くバスケスクールのコーチとして就職
  • 退職:(1度目)社会人のストレスに耐えられず2年で退職
  • 無職:1年間無職を経験し、やりたいこと探しをする
  • 就職:(2度目)結局「バスケが好き、バスケで稼ぎたい」という結論を出し、再びスクールコーチになる
  • 退職:(2度目)わずか5ヶ月で退職。会社で働くことが向いていないことを確信した

現在の仕事

  • バスケスクールコーチ
  • Webライター
  • ブログ運営
  • 健康運動指導士

「好きなことで稼ぐ」というキラキラワードがありますが、これを本気で実践していきます。

というより、勤め人であるが故に感じるストレスに耐えられないので、ぼくにはこれしかないです。

そんなぼくが今日に至るまでのストーリーを、ここから紹介していきます。

意識高い系ストイックなバスケットボーラーになったぼくの生い立ち

ぼくの人生はとにかくフツーです。なんせはじめは”意識低い系ゆる〜い”人間だったから。

 

幼少期は極度の泣き虫

「ことあるごとに泣いていた」というのをよく親から言われていましたが、自分でも「なんであんなにすぐ泣いてたんだろう」と思うくらい泣いていたのを覚えています。

家族でディズニーランドに行った時も何かあったわけでもないのに、1日中ひたすら泣いていたそう。

アトラクションに乗っては泣き、パレードを見ては泣き、ミッキーとハグしては泣き。

ほんとにすぐ泣いていた。そのためか、今では映画をみて感動しても泣けないくらい涙が枯れてしまった。
ぼくの涙はすべてディズニーランドに捧げた。

 好奇心あふれる小学生時代

小学生時代のぼくは、好奇心にまかせてすぐやってみるタイプ。

当時ハマっていた遊びは、「庭のアリの巣にアメを落として、そこにホースで水をぶちまける」です。

アリっていわゆる”甘いもの”によって来るじゃないですか。

そこに、ホースで水をぶちまけてアリを一網打尽にするという、アリ殲滅作戦の策士&実行隊長でした。

整理整頓が得意な父親だったので、アリの殲滅作戦でなく、「ホースの巻き方がきたない!」と怒られてました。

それから、ぼくの人生の柱となっているバスケも小学4年生からはじめました。

きっかけは、父親がやっていたから。

ぼくがバスケをはじめたことをきっかけに、我が家の庭にバスケットゴールが登場。

砂利をコンクリートで埋め立て、ゴールを設置するというちょっと大掛かりな工事が行われた。

しかし、当時のぼくは限りなく意識低い系のゆる〜いバスケットボーラー。

なぜかというと、「上手くなるには練習する」がまったくピンときていなくて、アニメみたいに「時が来れば強くなるんだ」的な考えのもとバスケにのぞんでいた。

そのため、週に1回の練習をデジモンがみたいがために遅刻する上、時々休む。

うまくなってないのは「まだ時が来ていない」と思い込んでた。。。

チーム自体も弱小で、市の一回戦で「100対0」で負けるという謎の展開を生み出すくらいのレベル。

試合終わった後のぼくの口癖は「全然つかれないわー」

時が来ないまま終えたミニバス時代でした。

ちょっと意識が上がってきた中学バスケ部

中学校に入ってもバスケを続けました。一応、部活選びのときに吹奏楽、剣道、テニスとかに手を出そうとした記憶はありますが、しっくりこず。

ぼくも思春期に突入し、「バスケ上手いとかっこいいし、あいつよりおれが上だ」と自己顕示欲がギラギラしてきました。

それくらいからやっと目が覚め、「時は来ない。練習しなきゃうまくならない。」と意識がシフトチェンジ。

  • 登下校の40分はドリブルしながら歩く。
  • 朝は1人で学校へ行き朝練へ。
  • 家では4時間シュート練習。

こんな変化を目の当たりにしたぼくの親は、当時全盛期だったアレン・アイバーソンのシグネイチャーモデルのバッシュ(Reebok Answer7)を買ってくれた。まじでかっこよかった。。。

ちなみに、かっこいいバッシュはいているやつも市の大会で自己顕示欲を誇示できる。

中学3年生になったときには、先輩や顧問の先生の推薦もありバスケ部の部長をつとめていました。

中3最後の大会、夏の中体連も市予選を2回戦で負けて、あっけなく終了。

それでも、バスケが好きになり、ちょっと意識が上がってきた中学バスケ部生活をおくりました。

高校生活が人生のターニングポイント

ちょっと意識が上がった中学時代のぼくは、当然ながら「強いチーム」に憧れる。

そこで、「人生で1度くらい強いチームでバスケがしたい」と親に切り出し、地元静岡で県大会ベスト8の常連校に入学を希望。

私立でしたが、「やりたいならいい」とぼくの両親は快諾してくれました。

この高校入学、バスケ部入部がぼくのターニングポイントとなりました。

入学前に「他の中学生もきてるから練習にきていいよ」と誘われて、部活に初めて体験に行きました。

ここで初めて体感した県大会ベスト8の高校バスケのインパクトがヤバすぎた。

まさに漫画のスラムダンクの世界。冗談抜きで、はじめ全員ゴリかと思った。

バスケってこんなレベルでできるんだと知り、感動と期待と焦りを覚えたバスケ部初日でした。

そしてスタートしたぼくの青春は、絵に描いたような体育会系の部活動生活。

一緒に練習している、先輩、同級生、後輩に負けたくない一心で練習に打ち込んだ3年間でした。

ですが、自分のレベルでは試合にでる機会もなく、現役をベンチで終えることに。

高校の成績としては、1年の時に県大会3位→東海大会出場。

2年、3年の時は、県大会ベスト8という成績。

一生懸命やってるはずなのに、自分の力が通用しない。でも認められたい。

本当に悔しくて、でもどうしようもなくて。

そんな気持ちがこみ上げてきた時には、人知れず練習中に泣いていたことも。

ディズニーランドに捧げたはずの涙がこぼれていました。

今までゆる〜いバスケットボーラーのぼくでしたが、高校の部活動は、妥協を許さないきつ〜い環境。

おかげで意識高い系ストイックなバスケットボーラーに生まれ変わりました

挫折した学生生活

ストイックなバスケットボーラーに生まれ変わったぼくは、大学でも部活を続けることを前提に進学を決意。

思い描いたキャンパスライフは、

「高校の時のように部活に打ち込み、今度は大学でスタメンをとる。そして試合で活躍する。誰よりもうまくなりたい。」

そう意気込んで地元静岡を離れ、進学先の愛知へ乗り込む。

が、ここで大学の部活を見学してとてもショックをうけた。

  • 先輩が試合をするのを1年は見ているだけ
  • 練習を流してやる
  • 部活内で先輩後輩の仲が悪く、雰囲気が良くない

これじゃバスケ上手くなれないんじゃないか?

そんな現状を目の当たりにしても、とりあえずやってみるかと入部。入部したものの、バスケを楽しめず、やりづらさばかりが溜まっていく。

結局、環境を受け入れることができず、3ヶ月でやめることに。

他にもバスケサークルにはいくつかいったけど、ストイックなバスケットボーラーに生まれ変わっていたぼくには、どうしても「ゆるい雰囲気」のバスケが受け入れられない。

まさか自分が部活(バスケ)をやめるなんておもってもなかった。

結局大学4年間は、地元に帰ったときの社会人バスケをするのみで終わってしまった。

今でも「大学でバスケをしていれば」と思ってしまうことも。

今後の人生と働き方に疑問を持った社会人

大学3年の就活をはじめるタイミングで、地元の高校の同級生から「一緒にチームをつくってバスケをしよう」と誘いが。

その一言でストイックなバスケットボーラーの血が騒ぎ、高校の同級生とまたバスケができることにひかれたぼく。

なので、なんとか地元にある企業に就職したいと考えました。

そして、地元のIT企業に内定をもらうことができた。職種は当時なんの興味もなかったSE(システムエンジニア)。

これでバスケをまた楽しめる!と思っていましたが、その後の就活で「バスケを子どもに教える仕事」と出会い、自分の進路を急変更することに。

会社の説明を聞きに行ったその日に、「自分がバスケを通じて人生が変わった体験を子どもにも伝えていきたい」という今までになかった強い思いが生まれました。

自分の本質をついているような気がして、「このまま就職しちゃダメだ。」そんな気持ちに駆り立てられ、プレイヤーじゃなくコーチとしてバスケをしていくことにしました

結局、大学卒業後は、その学校が運営する静岡の専門学校で、1年間スポーツ指導を学び、翌年、香川でバスケのインストラクターとして働くことになりました。

待ちに待った自分のスクールに自分の生徒たち。

自分がスクールの運営者であり、指導者であることに誇りと満足感があり、「とにかく子どもたちのためにできることをしたい」という思いで、仕事に打ち込みました。

しかし、

1年、2年と仕事を続けていくうちに「なんか働くのがつらい」と違和感を感じはじめました。

「大好きなバスケを子どもに教えるなんて最高の仕事じゃん」

と思って働いていたのに、次第にストレスが貯まるのを感じる。

日々の業務、スクール指導を繰り返すなかで、ぼくは窮屈さを感じていた。

ぼくが感じた窮屈さは、

  • 社会
  • 会社
  • 同僚
  • 保護者
  • 子ども

それぞれに対して「あるべき姿」「正解」みたいなものがあって、常に誰かの目を気にして発言や行動をしなければいけないことでした。

自分ではない存在を、自分であるかのよう振る舞っている感じがとても窮屈で嫌だった。

「自分の本音はAだけど、あるべき姿で考えるとBだよね。だからそっちを選ぼう」

そういう自分の本音が言えない、出せない環境ってつらいですよね。

「誰かの目を常に気にして発言や行動をしなければいけない。」

仕事はしたいけど、こんなに縛られてたら全然楽しくない。

自分はもっと自分のアイデアを試してみたいし、間違っててもいいからどんどん決断してやってみたいと思う。

だから、「全部自分で決めたいんだ」

誰にも縛られずに「自分のために生きる人生」をおくりたい。

そんな結論をだして、仕事をやめる決意をしました。

そして行き着いたのが「バスケ×フリーランス」の生き方です。

2年の社会人生活から1年間無職に

 

そして、2017年4月末。ぼくは新卒で入社した会社を2年で退職。

退職後、まずは時間と場所にとらわれない自由な働き方と稼ぎ方を身につけるために、Web系フリーランスを目指そうと考えました。

そして、2017年5月に千葉県いすみ市に移住して「田舎フリーランス養成講座」に参加しました。

関連記事:いすみ市で初開催!田舎フリーランス養成講座に参加してみた

「田舎フリーランス養成講座」は、サイト制作、デザイン、Webライティング、ブログなどの、Webで稼ぐスキルを身に着けながら、田舎暮らし体験などができる1ヶ月のWeb合宿です。

ライティングやサイト制作など、Webの仕事は一通り経験し、フリーランスになって3ヶ月目で、Web収益は15,000円ほどでした。

Webフリーランスのスキルを磨く合宿でしたが、ぼくはそれよりも田舎暮らしにハマっていました。笑

週2でサーフィン、釣り、地域の畑の手伝い、小屋づくり、昼寝、ビールづくり、かき氷屋のバイト・・・

strong>ドリブルしながら歩く旅【バスケ旅】なんかもしました!

関連記事:【バスケ旅】千葉から東京まで105kmをドリブルして歩いてみた

お金を稼ぐのが苦手だったので、一時期全財産が5,000円しかなかったこともあります。汗

「お金が無い」という経験から得たこともあります。

「あって当たり前と思っていた『何か』は手放しても大丈夫」ということ。

ぼくは自分のために生きていきたい。時間を使いたい。手放すことで、どんどん時間が増えた。
「自分の本音で生きることが、こんなにも楽しくて、生きてる心地がするものなんだ」って、やってみなければ分からなかったと思う。

この無職だった1年で、本当にいろんなことを体験して学んだ。

ぼくは、これからも自分の本音で、わがままに生きていく。

そして、バスケで稼いで飯を食う「バスケ×フリーランス」を実践していく。

趣味・野望など

 

◆趣味・特徴

  • バスケは公園、体育館で1人でも練習します
  • バスケ旅(ドリブルして歩く旅)
  • 音楽は清水翔太が大好きなんです
  • カラオケは大の苦手
  • 釣れない釣りが得意なルアーマン
  • 割りとなんでもそつなくこなすよ
  • 靴のサイズは30cm
  • NIKEが好き
  • ボストン・セルティックスの大ファン(2017-18シーズンから全試合見てる)
  • 3人制プロバスケ3×3(スリーバイスリー)も好き

◆性格

  • 感化されやすいタイプ
  • 誘われると行きがちです
  • でもすぐやめるという超やっかいなやつ
  • 自分でコミュ障かな?って思うくらい人と打ちとけるのに時間がかかります
  • 大勢の会話には基本参加できませんが話ができると喜びます
  • いわゆる盛り上げ役の人と話すのが苦手で話のフリに対してボケるのかツッコむのかの判断に迷いなにも返せないことが多々あります
  • 大声だすのが苦手というか声を発することが苦手です
  • たくさんの見知らぬ人との楽しむ会は早く1人になりたいと思うことが常です

こんな人間です。

◆野望

  • NIKEとスポンサー契約
  • アメリカ人になる
  • バスケで稼ぎ、飯を食い続ける
  • 20,000人収容できるアリーナをつくって、日本最大のエンタメ空間をつくる
  • プライベート体育館を立てる
  • ど田舎で自給自足で生きる

 

◆ブログへの想い

バスケって世界で一番競技人口が多いスポーツですよね。
そのポテンシャルを生かして、もっとバスケで飯を食っていける人が世界中に増えてほしいし、増やしていきたい。

それはみんながプロを目指すってわけではなくて、自分に合った形、自分のやりたい形で実現してほしい。

だからそういう人をひとりでも増やすために、まずはぼくがそれをブログを通して体現していきます。

ぼくは何がやりたいのかよくわからないまま大人になって、たくさん迷いました。

でもバスケが好きで、バスケで飯を食って生きていいけたら最高!って思っています。

前が見えない暗闇の中でも、手探りで進んでいけばいい。

バスケをツールに、お金を稼いだり、仲間をつくったりして、みんなでバスケを楽しもうぜ。

どうぞお付き合いくださいませ。

タカハシユウスケのSNS

◆Facebook
タカハシユウスケのFacebook
ブログの新着記事やタカハシユウスケの活動などを発信してます。

◆Twitter
タカハシユウスケのTwitter
よりマジメに、より過激にバスケネタをつぶやきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!